こだわりがない、という話

おはようございます。西日本R&Dの加納です。 

今日は「こだわりがない」という話をしたいんですけど

わたしってつい最近まで全くこだわりがなかったんですよね。

(正確にいうとこだわりがないのではなくて、別の表現になるのですが、それはまたのちほど)

”こだわりのない"生き方、というか、人生そのものがそんな感じでした。 

じぶんにこだわりがないと気づいたのがつい2年前で

ある日兄嫁が私の誕生日にケーキを買ってきてくれるとのことで

「どこのケーキ屋さんのケーキが好き?」って聞かれたんですよね。

私は普通に「どこでもいいよ〜、美味しかったらなんでも〜」みたいな感じで、思ったまま伝えたんですけど

それからもプレゼントに、「どこの服がすき?」とか「何が欲しい?」とか言われても

「好きなもの分からんからなんでもいいよ~。」みたいな感じで応えていたら

わたしの兄が「ほら、なんでもいいって言ったやろ。」って言ったのを聞いて

やっと自分がこだわりがなくて、普段から何も考えていない事に気付いたんですよね。笑 

ただそれからは、「こだわりがない」ということがコンプレックスになってしまって

どうしたらこだわれるのか、なぜ自分にはこだわりがないのかって

誕生日のことがあってから2年くらいいつもどこかで考えるようになりました。

それからようやく、ついにその謎が解けることがあったんですけど

最近読んだ本に、こんなことが書かれてあったんです。

詳しく書かれていたことは忘れてしまったんですけど

「日本人は好き嫌いをしないのが美徳。我慢をするのが正義」みたいなことが書かれていて

小さい頃に嫌いなおかずを残すと、親に「好き嫌いしちゃだめよ。食べれるようになろうね。」とか

ご飯以外のことでも、「友達とはみんな仲良くしようね」とか

そんなこんなをいわれている内に、好きなものが分からなくなる。

いつの間にか好きなものが無くなってしまう。って内容だったんですよね。

その文を見たときに、やっと自分の中の謎が解けたような気持ちになったんですよね。

自分はこだわりがなかったのわけではなくて、好きという気持ちを抑えていただけだったんだってようやく気付けて。

そこからは自分の中の「好き」という感覚になるべく意識を向けてノートに記録するようになりました。

他の人からするともしかしたら不思議に思うかもしれませんが

意識しておかないとまた無意識に「好き」を置き去りにしてしまうんですよね(笑)

「好き」な気持ちを持つようになってからは、暮らしが本当に変わって

というか暮らしは全く変わってはいないんですけど、今まで見ていた景色も全く違うものに見えるようになりました。

ただ、コンプレックスだったとかネガティブな表現を綴ってしまいましたが

すべてがそうでは無くて、こだわりがなかったからこそ

周りに迷惑をかけることも少なかったと思いますし(多分)

家族や周りの人たちのことを自分よりも優先に考えれたり

他の人を救うことに繋がっていたかもしれないので

損な性格に思う人もいるかも知れませそんが

結果全部よかったなって思えています。(笑)

長くなりましたが、

「好きなものに囲まれながら、好きな事をして生きていく。」

それが今の私の理想の暮らし方です。

今はそんな暮らしには程遠いですけど、いつかはできたら良いなと思っています。(^^)

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